不思議な穴がいっぱい 吉見百穴
吉見百穴(よしみひゃくあな)
埼玉県吉見町にある吉見百穴に行ってきた。そこには不思議な横穴がたくさんある。
江戸時代の中頃には「百穴」の呼び名が生まれ、不思議な穴として興味をもたれていたそうだ。
明治20年、坪井正五郎氏によって大発掘が行われ、人骨、玉類、金属器、土器類が出土した。坪井氏は「百穴は先住民族の住居跡である」と発表した。
しかし、その後の調査・研究により、この横穴は古墳時代の後期に死者を埋葬する墓穴として作られたものであることがわかった。
そして、大正12年に「吉見百穴」は国の史跡に指定された。現在219個の穴が確認されている。
吉見百穴へのアクセス
●東武東上線の東松山駅で下車し、「免許センター」行きのバスに乗り「百穴入り口」バス停で下車、徒歩7分。
●JR高崎線の鴻巣駅で下車し、「東松山駅」行きのバスに乗り、「百穴入り口」で下車、徒歩7分。
開館時間 8:30~17:00 ※入館は閉館30分前まで。 年中無休。
観覧料 大人300円 小人200円。
吉見百穴。なんとも不思議な光景。
1つの横穴に注目してみた。入り口は小さいので座った状態でないと入れない。
中をのぞいてみた。ここに人が埋葬されていたのか。
いくつかの横穴の中には緑色の光を発しているヒカリゴケがある。このコケは山地に多く平野にあるのは植物分布上きわめて貴重とされ、国指定天然記念物となっている。
地下軍需工場跡。第2次世界大戦の末期に地下軍需工場用として掘られたもの。約500mにわたって掘られており、その一部が公開されている。
軍需工場跡の内部。
丘の上の方にもたくさんの横穴が。
見晴台から見た東松山市街。
資料展示館。吉見町の観光案内等のパネル展示がある。
埋蔵文化財センター。展示室には縄文時代や古墳時代の貴重な資料が展示されている。
正岡子規の句碑。明治24年にこの地を訪れた時に詠んだ句。
神の代は かくやありけん 冬籠
感想・気づいたこと
・丘の斜面に無数の横穴があるという、なんとも不思議な光景が広がっている。この一つ一つが古代の人々が葬られた墓であることを思うと、昔の人たちはどのような生活をしていたのだろうかという想像が広がってゆく。
・軍需工場跡は巨大な洞窟。中は夏でもひんやりして涼しいので、彩の国(埼玉)クールスポット100選に選定されている。
・売店があり、土産物などが売られており食事もできる。
あわせて読みたい記事